総務部局での3年間
「一番、楽そう」
私が1年生の時に総務部局を選んだ理由は単純に1番楽そうだから。2年生でも徽音祭実行委員を続けたのは学チカが欲しかったから。こんな理由で徽音祭と向き合っていた私が幹部でになった今、総務部局長を務めています。
徽音祭への向き合い方が変わったのは、2年で総務部局衛生担当として参加した徽音祭です。コロナ流行後初めての徽音祭。そんな中で務めた衛生という立場は私には荷が重く、感染者を出さないために必死で活動しました。初めて徽音祭のために努力をして、結果感染者を出すことなく学祭を終えることができました。その時、自分が影響力を持つことができたこと、自分が大きな学祭というものに少しでも貢献できる人間になることができたこと、これらを実感し、来年も幹部として徽音祭を作り上げたいと思うようになりました。学チカのためではなく、徽音祭が好きだから。幹部に上がり、総務部局長となり、今までとは比にもならない大きな責任と莫大な仕事量がありました。2年前の私であれば、逃げ出したくなっていたかもしれません。でも、私は総務部局長としてのこの半年間が本当に本当に楽しかったです。本当に仕事をこなすのは大変で、常に何かしらの仕事を抱えていて、寝る間も惜しんで活動しました。夢の中でも必死に仕事をしているくらい、毎日が徽音祭でいっぱいでした。でも、本当に楽しかった。3年間で学んできたことが、経験として力にすることができ、私は今、部局長として少しでも徽音祭の一部になることができたと思います。しかし、もっと頑張れた、もっと徽音祭のためにできることがあった、多くの後悔があります。それでも、4年ぶりの完全キャンパス開催。私はこの大きな節目に実行委員として関わることができました。あの時、総務部局を選んで良かった。実行委員を続けて良かった。心から思います。
徽音祭はこれからもパワーアップし続けます。引き続き、お茶の水女子大学徽音祭をよろしくお願いいたします。
総務部局長 3年